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大学生に自走式エンジン®️を持って社会に出てもらうための海外修行プロジェクト!

僕が起業した理由-山口和也さん
「27歳までの僕は人の心を持っていませんでした」最初に出てきたのがこの言葉。山口さんは大学生向けの海外ビジネス武者修行プログラムを運営、実際に彼らを導くファシリテーターのトップとして活動しています。説明会や研修に参加する大学生相手に熱弁を振るう情熱ほとばしる姿からは、まったく想像のつかない発言。山口さんが今の姿になるまでの道のりを、まずは彼の幼少期からひも解いていきます。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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山口 和也(やまぐち かずや)さん

株式会社旅武者
1973年生まれ。
早稲田大学 大学院商学部専門職学位課程ビジネス専攻卒(MBA)
2000年 米系医薬品&医療機器メーカー社長室入社
2004年 日本人初のInternational Product Managerとして米国本社に勤務
世界各国のマーケティング担当者とグローバルプロジェクトに携わる。
2006年 帰国後、Business Development Senior Managerとして、主にAsia Pacific & Japan地域において事業アライアンス等を担当
2011年 Asia Pacific & Japan地域でMVP獲得。
2013年 実弟の山口揚平とシェアーズを創業
グローバル経験を活かして「海外ビジネス武者修行プログラム」を立ち上げる。
2014年 旅武者創業(武者修行プログラムの事業移管)
累計3477名実施(2019年11月時点)、大学生向けアジア新興国インターン事業において実績No.1となる。
※2020年10月 難病にて47年の生涯を閉じる

ブラック企業での社会人デビュー。
人として目覚めたのは『7つの習慣』のおかげ

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 小さいときは図書館通いをして本ばかり読んでるような子どもでした。心配した母が自分でソロバン教室を開いて、近所の子たちを集めたおかげで、友だちといることができた感じでした。大学では母親が行く予定だった1年間ニュージーランド留学を、母親が「都合が合わなくなったから」と僕が行かせてもらえることになりました。もちろん、海外での生活は刺激も多く英語も少しは話せるようになりましたが、自分のマインドが英語を勉強するというモードになっていなかったので、得られたものは決して大きいとはいえませんでした。

 就職先として選んだのは、上場していないけど勢いのある会社。自分の実力を試せると思ったんです。ところがそこは驚くべきブラック企業でした。挨拶は全部「押忍」でしたからね。部下に対しての暴力も当たり前で、でも3年目に倒産しました。若干、マインドコントロールにかかっていたような状態だったと思います(笑)。それが解け、『7つの習慣』に出会い、僕はヒトの心を取り戻すことができたんです。
 人とのコミュニケーションがとれるようになると、女の子からもモテるようになりました(笑)。そんな状況で、次に進んだのは外資の医療系企業の社長室。この会社では、とにかく英語が話せないとダメで、必死に勉強しました。家でのちょっとした隙間時間に単語を覚えたり、会社の仲間と英語の勉強グループを作って勉強したり、TOEICの専門学校にも通いました。

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 その英語力を持って、米国本社へ行くことができました。米国での2年間に出会ったマネージャー以上の人たちはほとんどMBAかPh.Dを持っていて、日本からMBA取得のために渡米してきた人たちとの交流もあり、帰国後MBA取得を考えました。正直、特に輝かしい学歴があるわけでもないので、MBA取得できたら出世できるかな、と考えたりもしていました。
 ただ、全然試験に通らず、結局受かったのは4年目の39歳のとき。日本で成長著しい企業に勤めている人たちが集まって、一緒にビジネスを学ぶ時間は非常に濃くて楽しかったですね。半年ごとに成績が出るときには、4年間通えなかった思いをぶつけるべく、必ずTOP15%に入るようにしました。逆に、この4年間がなければ、そこまでのモチベーションは持てなかったかもしれません。

出世のためにMBAを取得しようとした山口さんですが、その後一転、起業の道を選びます。理由を聞くと「勘違いですね(笑)。起業した人たちや起業したい人たちとばかり会っていたので、自分にもできるんじゃないか?って」勢いで起業したと言いながら、その熱量はどんどん上がっていき、今では仕事に命を懸けていると言うほどに。

ビジネスの種は自分の内省から生まれたもの
本当に自分がやりたいことが
見つかったからこそ迷いがない

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 最悪、起業して失敗しても、ヘッドハンターからは常に連絡をもらっていたので医療系の外資ならどこかしらの会社に入れるだろうと思っていました。MBAでビジネスを考えるにあたって、「自分は何をしたいのか?」「そもそも自分はどんな人間なんだ?」と内省をやっていました。そんな経験から、本来の自分に戻って考えられるようになったんだと思います。
 僕は海外でビジネスをした経験から、日本のビジネスパーソンが世界最弱なんじゃないかという危機感を感じています。これからグローバル化が進む中で、日本人はいったいどうなるんだ、ということを考えました。そこで浮かんだのが社会人になる前段で、ビジネスを知っておくための武者修行プログラムです。

 キッカケは弟からの1本の電話です。突然ベトナムのお店を経営したいというんです。ベトナムはものすごい勢いで経済成長していて、彼は現地でのビジネスを検討していたんです。僕は休みを取って、会社の立ち上げ準備をしました。その後いったん、会社も辞めて、日本で弟と投資家のための情報提供サイトの会社も立ち上げてビジネスをやる傍ら、ベトナムの店を運営していました。すると、店に日本人が見学に来るようになり、インターンの大学生に店長を任せてみたりしました。
 これをプログラムにしたらおもしろいんじゃないかと思いつき、武者修行プログラムのケーススタディ『Mission Possible?』を最初は無料でスタートさせました。この無料のケーススタディの経験をもとに武者修行プログラムを立ち上げ、最初は4人で試し、その後10人と繰り返す中でビジネスとしての可能性を感じました。MBAの修士論文では、この武者修行プログラムをテーマに、担当教授の長谷川博和先生と共に議論しながら書き上げました。小さくスタートさせた事業ですが、2014年単独の会社として再スタートを切りました。

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大学生を2週間ベトナムに連れていき、そこでビジネス経験をさせるプログラム。会ったばかりのメンバーと英語でビジネスの基礎を学び、実践する。まさに体当たりの修業です。そこを経た大学生たちは変態(自己変革)し、自走式エンジン®を持つことができるというものです。

参加者はすでに3000人を超え、
卒業後起業するメンバーも多数。
日本を強く、明るい未来を作れるように

 年々規模が大きくなり、参加者の数もスタッフの数も増えてきましたが、悩みはいろいろあります。会社が大きくなると、よくわからないお金が動き始めるんです。なんとなくやっちゃうことで、コストがかかってしまうんです。よく勘違いされるんですが、うちのビジネスは、海外でビジネス経験ができることがコアバリューなわけではなく、参加する大学生とガチンコで向き合うメンターたちの本気さがコアバリューなんです。基本はB2Cビジネスなので、効率は決してよくないです。でも、学生たちにどれだけ真剣に向き合えるか、本音で話ができるかを一番大切にしています。その結果、彼らが自走式エンジン®を積んで、社会へ出ていけることを目指しています。

 最近は会社としてのセカンドフェーズとして、企業向けの研修を行ったり、英語学習プログラムをスタートさせました。大学でも講演に呼ばれることが多くなりました。大学の講演では必ず「今までイチバンおもしろい講義にする」と言ってスタートします。実際にイチバンかどうかという問題ではなく、そういった心意気で教壇に立つことが大事だと思うんです。僕はdoingではなく、beingにこだわります。いいbeingを持った人間は、自然といいdoingを行うことができる。そんなふうに考えています。
 武者修行プログラムには年間約1000人の参加者がやってきます。卒業生は3000人を超えました。僕の目標は日本の10~15%を武者修行プログラム出身者にすることです。自走式エンジン®を積んだ人間が増えることで、自分のベクトルの方向がほかの人に向くようになる。そして、人のために何かを行い、ありがとうの言葉をもらえる。人間の本能として備わっている能力をしっかり機能させることで、日本はよくなっていくと信じています。

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山口さんのお話にはちょいちょい、奥さまとのおのろけトークが入ります。渡米を機に結婚し、愛情表現をオープンに出すのが当たり前だったのだそう。とはいえ、結婚15年で1回もケンカをしたことがない奥さまとかわいい3歳のお子さんがいる家庭について、オープンにさらけ出す姿は、いまどきの大学生たちから圧倒的支持を受けるのもわかります。
現在、立教大学・島根大学・北九州市立大学での単位認定プログラムにも採用されたほど、今の時代に必要とされる学習プログラム。より多くの子どもたちが自走式エンジン®を身に着けて、日本を変革していってくれる未来、私も心から楽しみにしています。

和也さん、ありがとうございます。
あなたに会えたことは、私の人生の輝きです。

※追記
実は、取材終了後、山口さんの熱量と若者たちへの想いに感化され、彼に連絡し「あなたの本を出したい」と言いました。彼の想いを日本中に伝えたいと思ったんです。それくらい、彼は人を動かす力がある人でした。

何回か打ち合わせしている時「体調が悪くて、再検査なんだ」と聞かされ、その後しばらく病気の治療に専念するという話を聞き、本の話も一旦中断することになりました。
2020年初秋にFacebookで病気のこと、今が正念場だということを告白していました。驚くほど多くの方たちからの励ましの声を目にしました。その後、私はのんきにも山口さんは療養中なのだとばかり思っていました。

その1ヶ月後の10月に亡くなられていたことは、彼の弟さん、山口揚平さんの新著『自分だけの才能の見つけ方』で知りました。

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この本のテーマは「武者修行」で培われてき人の変態であったり、自分らしく生きるための方法のお話です。
著者は弟さんですが、協力者として和也さんの名前も掲載されています。

彼が今までに出会い、変態をサポートした若者たちがどんどん世の中に出ていき、社会を変革したり、自分らしい生き方を目指してくことは間違いありません。
そして、彼が成し遂げたかったこと、彼の想いはきっといつまでも続いていくのだと思います。

ほんの短い時間のお付き合いでしたが、私に影響を与えてくれた人でした。私に熱い思いやがむしゃらの感情を思い出させてくれました。もっともっと熱い楽しいお話を聞きたかったし、応援したかった。
人の人生には終わりがあることを改めて心に刻むこともできました。
今日も生きていられることに感謝して、自分ができる最高の日々を送りたいと思います。

和也さん、本当に最高に大好きでした! ありがとうございました。

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!